PARCOとポスター。

ゲロッパ!気づけばもう2月も半ばなのかい!
2025年2月は特別な月。
松本PARCOが閉店してしまう月。

松本市街地では今、2月末のパルコ閉店に向けて
市民有志が「ありがとう松本パルコ実行委員会」を立ち上げ、
市の施設とも連携して様々なフェアウェル企画が開催されています。

その一つ、松本市美術館で先週末まで開催されていた
「PARCOポスター展」と、最終日に行われたトークショー
「松本とPARCO その歴史を振り返る」へ。

なぜ松本というローカル都市にパルコができたのか?
松本に縁ある元パルコ会長、増田通二さんとはどんな存在だったのか?
PARCOの斬新なイメージ広告はどう生まれたのか?
増田さんの直属の部下で元パルコ執行役員、大倉さんのお話はとても興味深く、
「パルコ」というブランドはどう作られてきたのか、
その根っこにはどんな経営精神があったのかを感じられる貴重な時間でした。

上田市民だった僕は家族と度々、三才山峠を超えて松本を訪れ、
パルコ先生のもとで様々な”シティ”の洗礼を受けた。
「ペペロンチーノ」を人生初めて体験したのも、
おそらく高校3年生、松本パルコのイタリアンレストランでだった。笑

ティーンズ時代、松本の店頭やテレビで
パルコの広告を眺めていた当時の自分と重ね合わせながら、
1969年から2024年までのキレキレのポスターの数々を眺めた。
一貫して感じたのは、”個の意志”を尊重するメッセージ。
自我と格闘していたあの頃も、なんとなくそれを感じて、
シンパシーを抱いてきたんだな。そんなことを思い出した。

単に”オシャレ”というだけじゃなく、
メインストリームでなく我が道を行く、
そんなロックな姿勢にぐっと惹かれていたのだ。きっと。


田舎じゃねーし!パルコあるし!

東京での大学時代、同級生に
地元長野県のことを、こうプレゼンしていた自分が(笑)
なぜここまでパルコを誇っていたのか、
なんとなく理解できた気がした。

そんなたくさんの思い出と
今の自分の感性の礎を与えてくれた松本パルコも、残りあとわずか。
番組でも「ありがとう松本パルコ実行委員会」とタッグを組んで
今、楽しいこと絶賛計画中です!ぜひお楽しみに。
あなたのパルコの思い出も聴かせてくださいね。

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